Posted by at

2015年02月04日

610年 新羅、任那の使者を朝廷に迎える

トップ > サイトマップ >






610年 新羅、任那(みまな)の使者を朝廷に迎える


※新羅(しらぎ)・・・古代の朝鮮半島南東部にあった国家。
※任那(みまな)・・・古代に存在した朝鮮半島南部の地域。


新羅と任那の外交使節団を、蘇我蝦夷、大伴咋、阿倍鳥子らが出迎えている。

秦河勝(はたのかわかつ)が、使節を迎える導者の任に当たる。

秦氏は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団と言われ。

河勝は山背国の深草地域(京都市伏見区)および葛野地域に居住する秦氏の族長的人物で、軍事力や経済力を背景にはやくから厩戸皇子(聖徳太子)の側近として活躍。秦氏の財力により平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わったという説もある。


  


Posted by 夢子 at 11:11Comments(0)610年

2015年02月03日

610年 高句麗の僧・曇徴が彩色、紙、墨、碾磑の製法を伝える

トップ > サイトマップ >





610年 高句麗の僧・曇徴(どんちょう)が彩色、紙、墨、碾磑(てんがい)の製法を伝える


日本書紀に高句麗から渡来した僧・曇徴(どんちょう)の記述あり。

推古天皇十八年(西暦610年)春三月に、高麗王は僧の曇徴と法定(ほうじょう)を貢いだ。曇徴は五経に通じていた。絵の具や紙墨をよく作り、さらには碾磑も作った。思うに、碾磑を作ることは、この時より始まったのだろうか。(現代語訳)


※碾磑とは、穀物を挽くための、水力を利用した臼のこと。

  


Posted by 夢子 at 11:11Comments(0)610年