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2015年02月06日

620年 『天皇記』『国記』を編纂

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620年 聖徳太子と蘇我馬子が『天皇記』『国記』『臣・連・伴造・国造・百八十部幷公民等本記』を編纂



聖徳太子と蘇我馬子が協議して、『天皇記』『国記』『臣・連・伴造・国造・百八十部幷公民等本記』を筆録。

これが日本国内で歴史書が編纂されたもっとも古い記録で、『日本書紀』推古28年の是歳条に『皇太子・嶋大臣共に議(はか)りて、天皇記(すめらみことのふみ)及び国記(くにつふみ)、臣連伴造国造百八十部併せて公民等の本記を録す。』とあります。




天皇記(てんのうき)
歴代天皇の系譜や、王位の継承に関する記述

国記(こつき)
国政に関する記述

臣・連・伴造・国造・百八十部幷公民等本記(おみ・むらじ・とものみやつこ・くにのみやつこ・ももやそとものをあわせておおみたからどものほんき)
中央・地方の諸氏族や支配下に置かれた人々についての記述



『天皇記』『国記』『臣・連・伴造・国造・百八十部幷公民等本記』は蘇我氏宅に保管されていたようです。

しかし、645年に起きた乙巳の変(いっしのへん)で蘇我入鹿が中臣鎌足、中大兄皇子らによって殺害されたときに、蘇我入鹿の父・蝦夷が『天皇記』『国記』を焼いてしまった。このとき、船史恵尺(ふねのふびとえさか)が火の中から『国記』を救い出し、中大兄皇子に献上。

※書物じたいは、現代ではすでに失われており、どのようなものであったのかわからない。




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