› 日本の歴史を可愛らしく表現 › 622年 › 622年 聖徳太子亡くなる

2015年02月09日

622年 聖徳太子亡くなる

トップ > サイトマップ >





622年 聖徳太子亡くなる


推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を制定し中央集権国家(天皇を中心に強くまとまった国)を目指した。仏教を厚く信仰し、法隆寺などお寺をいくつも建立。

622年、斑鳩宮で倒れた厩戸皇子は回復することなく亡くなる。



【聖徳太子の関する記事】
587年 蘇我馬子、物部守屋を滅ぼす
593年 厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇の摂政となる
594年 推古天皇が三宝興隆の詔を発布
600年 最初の遣隋使を送る
601年 聖徳太子が斑鳩宮を造営
604年 聖徳太子が十七条憲法を制定
607年(?) 法隆寺建立


【聖徳太子・厩戸皇子・厩戸王】
聖徳太子という呼称は生前用いられていません。
8世紀前半に成立した日本書紀の『用明天皇紀』には、天皇の4人の男子のうちの1人が『厩戸皇子』であると記されている。
『皇子』の尊称は7世紀後半の天武天皇以降のものであり、6世紀末~7世紀初めの聖徳太子の時代には『王』とよばれていたことから、当時は『厩戸王』と呼ばれていたと思われる。






同じカテゴリー(622年)の記事画像
622年 橘大郎女が天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)を作る
同じカテゴリー(622年)の記事
 622年 橘大郎女が天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)を作る (2015-02-10 11:11)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。