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2015年02月23日

631年 百済の王子・豊璋と善光を人質して倭国に送る

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631年 百済の王子・豊璋と善光を人質して倭国に送る


百済最後の国王・義慈王(ぎじおう)は倭国と同盟し、王子・豊璋王(ほうしょうおう)と禅広王(善光王)を人質として倭国に献上した。

王子の渡来時期は、『日本書紀』によれば631年3月であるが、『三国史記』百済本紀には653年に倭国と通好すとあり。

百済は660年唐の進攻によって滅びる。百済王室は唐の都に連行された。百済復興のため倭国から朝鮮半島に戻った豊璋王も白村江の戦いに敗れ、高句麗に亡命するも、やがて唐に捕らえられ流刑となったため、日本に残った禅広王(善光王)が百済王族の血統を伝えることとなる。

禅広王(善光王)は664年に難波(なにわ)に居住地を与えられ、持統天皇の代には百済王(くだらのこにきし)の姓を与えられ、百済王禅広となる。彼の子孫は百済王氏となり、旧百済からの亡命貴族として、日本の官人社会でほかの貴族と同様に天皇に仕える臣下の立場となった。



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