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2015年02月26日

641年 舒明天皇崩御

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641年 舒明天皇(じょめいてんのう)崩御


舒明天皇(じょめいてんのう)

第34代天皇

生誕  推古天皇元年(593年)?
崩御  舒明天皇13年10月9日(641年11月17日)

父・押坂彦人大兄皇子、母・糠手姫皇女


推古天皇は崩御する時、継嗣を定めていなかった。

敏達天皇の孫で、押坂彦人大兄皇子の子である田村皇子と、聖徳太子の子・山背大兄皇子(やましろのおおえのみこ)。この二人が皇位を継ぐ有力候補であった。

どちらを天皇にすべきか群臣の間でも意見が分かれた。最後は蘇我蝦夷と群臣が田村皇子に皇位につくよう要請。皇子は最初は辞退したものの、これを聞き入れ即位(舒明天皇)。

しかし、この決定で山背大兄皇子と蘇我蝦夷の間に溝ができる。

舒明天皇は外交に力を注ぎ、630年に遣唐使を派遣。また新羅、高麗、百済などとの交流も盛んにおこなった。

639年、舒明天皇は奈良盆地南の百済川のほとりに大宮と大寺の造営を始める。官立の寺院としてつくられた寺は百済大寺と呼ばれるようになり、舒明天皇が亡くなったあとは、皇極天皇が跡を継いで、造営は継続された。

641年、舒明天皇は百済宮で崩御。




飛鳥か、百済か―舒明天皇の挑戦





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