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2015年04月10日

667年 近江大津宮に遷都

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667年 近江大津宮に遷都



近江大津宮(おうみのおおつのみや)

滋賀県大津市錦織の遺跡が近江大津宮の跡とされている。



655年~656年・・・飛鳥川原宮(あすかかわらのみや)、奈良県明日香村
656年~661年・・・後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)、奈良県明日香村
661年・・・朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)、福岡県朝倉市
667年~672年・・・近江大津宮(おうみのおおつのみや)、滋賀県大津市
672年~694年・・・飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)、奈良県明日香村


  


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2015年04月09日

664年 筑紫に水城を建造

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664年 筑紫に水城を建造



白村江の戦いで敗戦したので、中大兄皇子は、唐・新羅が博多湾から大宰府に攻め込むことを想定し、対馬・壱岐・筑紫に防人と烽を設置し、筑紫に水城を築く。


防人(さきもり / ぼうじん)
飛鳥時代から平安時代、律令制度下で行われた軍事制度。
大陸からの侵入を防ぐ目的で九州北部の沿岸や壱岐・対馬(つしま)に派遣された兵士。

烽(ほう、とぶひ)
外敵の侵入などの事態を急報するための『のろし』をあげる設備。
狼煙(のろし)とは、物を焼くことで煙を上げ、それを離れたところから確認することによって、情報を伝達する手段。

水城(みずき)
国防施設。博多湾方面からの攻撃から大宰府を守るための防御線となる直線状の堀と土塁。
現在の福岡県大野城市から太宰府市にかけてあった。

  


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2015年04月08日

664年 甲子の宣(かつしのせん)

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664年 甲子の宣(かつしのせん)




甲子の宣(かつしのせん、かっしのせん)

内政改革
冠位二十六階を制定。氏上・民部・家部を定める。

  


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2015年04月07日

663年 白村江の戦い

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663年 白村江の戦い



660年7月、百済滅亡。 唐・新羅連合軍に敗れる。
661年2月、百済救済のため斉明天皇自ら船団に乗り筑紫へ。
661年5月、白村江の戦い第一派出発。
661年8月、 斉明天皇崩御。
662年3月、白村江の戦い第二派出発。
662年5月、阿倍比羅夫を百済救援に派遣、余豊璋を百済に送り王位を継がせる。
663年6月、余豊璋、謀反の心のあった鬼室福信を斬りつける。
663年8月、白村江の戦い・・・朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)において倭国・百済の連合軍と、唐・新羅連合軍が会戦した。
663年10月、百済・日本連合軍敗れる。
663年10月、百済が降伏、人民が相次いで日本へ逃れる。

  


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2015年04月06日

661年 中大兄皇子が称制(即位なしの執政)

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661年 中大兄皇子が称制(即位なしの執政)


斉明天皇が崩御すると、中大兄皇子は即位せずに政務を執行する(称制)。


称制(しょうせい)
天皇が在位していないときに、皇后・皇太子などが綸旨に政務を行なうこと



  


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2015年04月03日

661年 斉明天皇崩御

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661年 斉明天皇崩御




斉明天皇(さいめいてんのう)

第37代 天皇
在位  斉明天皇元年1月3日(655年2月14日)~7年7月24日(661年8月24日)


660年、百済が唐と新羅によって滅ぼされた。
百済を援けるため、難波に遷って武器と船舶を作らせ、更に瀬戸内海を西に渡り、筑紫の朝倉宮に遷幸し戦争に備えた。遠征の軍が発する前の661年、当地にて崩御した。


朝倉宮
朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)

所在地は現在の福岡県朝倉市とされるが、具体的な場所は特定されていない。

  


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2015年04月02日

2月21日の記事

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660年 百済の将・鬼室福信が倭に救援要請


鬼室福信(きしつふくしん)
百済の王族・将軍


百済(くだら)滅びる
百済は、新羅からの救援要請を受けて唐が軍を起こし唐・新羅連合軍に滅ぼされる。唐は百済の旧領を郡県支配の下に置いたが、すぐに百済遺民による反抗運動が起きた。

  


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2015年04月01日

660年 阿倍比羅夫が粛慎を討つ

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660年 阿倍比羅夫が粛慎を討つ


阿倍比羅夫(あべのひらふ)、658年から3年間日本海側を北は北海道までを航海して蝦夷を服属させ、粛慎と交戦した。

粛慎(しゅくしん)
満州(中国東北地方及びロシア・沿海地方)に住んでいたとされるツングース系狩猟民族。

  


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2015年03月31日

658年 有馬皇子を殺害

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658年 有馬皇子を殺害



有間皇子が謀反

孝徳天皇の皇子・有間皇子(ありまのみこ)が、斉明天皇への謀反計画が発覚し、中大兄皇子に尋問され、絞首刑に処せられた。


  


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2015年03月30日

658年、阿倍比羅夫、齶田・渟代の蝦夷を討つ

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658年、阿倍比羅夫、齶田・渟代の蝦夷を討つ


阿倍比羅夫(あべのひらふ)、蝦夷・粛慎の征討開始

『日本書紀』に、『斉明天皇4年(658年)4月、越国守阿倍比羅夫が軍船180隻を引いて蝦夷を伐つ、齶田(飽田)・渟代二郡の蝦夷望み恐じて降わんと乞う』と記されている



蝦夷(えみし、えびす、えぞ)
大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方の一部と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)に住む人々

粛慎(しゅくしん)
満州(中国東北地方及びロシア・沿海地方)に住んでいたとされるツングース系狩猟民族。
  


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