649年 蘇我倉山田石川麻呂討たれる
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649年 蘇我倉山田石川麻呂討たれる
蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)、謀反の疑い、翌日山田寺で自殺。
蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)
※飛鳥時代の豪族
※蘇我馬子の子・蘇我倉麻呂の子であり、蘇我蝦夷は伯父、蘇我入鹿は従兄弟に当たる。
※645年の乙巳の変で、中大兄皇子が中臣鎌足と共謀して入鹿の誅殺をはかった際に、その暗殺の合図となる朝鮮使の上表文を大極殿で読み上げたのが、この蘇我倉山田石川麻呂。
今回の謀反の一件は中大兄皇子と中臣鎌足の陰謀であったとされている。
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