607年(?) 法隆寺建立
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607年(?) 法隆寺建立
法隆寺(ほうりゅうじ)、別名・斑鳩寺(いかるがでら)
聖徳宗の総本山である法隆寺は、607年、推古天皇と聖徳太子が用明天皇の病を治すために、薬師像を祀る斑鳩寺(現法隆寺)の建築を進めたことが始まりとされていますが、創建に関しては諸説あります。
643年、蘇我入鹿が山背大兄王を襲った際に斑鳩宮(⇒
601年 聖徳太子が斑鳩宮を造営)は焼失しましたが、法隆寺はこの時は無事だったと思われます。
日本書紀に、『670年の火災で法隆寺は焼失したという記されており、現在の法隆寺はそれ以降に再建されたものです。
法隆寺は、金堂や五重塔をはじめ現存する木造建築では世界最古といわれる建造物で、1993年、法起寺と共にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
法隆寺
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
斑鳩の里観光コース
飛鳥時代、聖徳太子の宮が建てられ、仏教文化が花開いた斑鳩の里。
法隆寺⇒夢殿⇒中宮寺⇒法輪寺⇒法起寺(所要時間 半日から一日)
法隆寺の五輪塔の相輪に4本の鎌が刺さっています。聖徳太子の雷によけの鎌だともいわれていますが真相は謎に包まれています。
他にも『法隆寺には蜘蛛の巣が張らない』『境内には雨だれの跡がつかない』『夢殿の礼盤は汗をかく』など七不思議と呼ばれている謎があります。
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法隆寺五重塔・相輪の鎌のナゾを解く(産経新聞「なら再発見」第47回)
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斑鳩町観光協会
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