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2015年01月21日

601年 聖徳太子が斑鳩宮を造営

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601年 聖徳太子が斑鳩宮を造営


斑鳩宮(いかるがのみや)

聖徳太子が現在の奈良県生駒郡斑鳩町に営んだ宮殿。

聖徳太子は、601年に斑鳩宮を造営し、約4年半の歳月をかけて605年に完成。

605年すら聖徳太子が亡くなる622年まで17年間斑鳩宮で過ごしました。

聖徳太子が飛鳥から20キロも離れた斑鳩の地に新しい宮殿を構えたのは蘇我馬子との対立に疲れたためとも言われていますが史料が残っておらずはっきりしたことはわかりません。

聖徳太子により、斑鳩宮の西方に斑鳩伽藍群(法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺)も建立された。


法隆寺・・・別名 斑鳩寺。現在は『聖徳宗』を名乗る聖徳太子ゆかりの寺院。創建年代には諸説あり。

中宮寺・・・聖徳太子の母の発願で斑鳩寺の東に創建。16世紀ごろに移転し、現在は法隆寺に隣接する。

法輪寺・・・創建事情の詳細は不明であるが、発掘調査の結果等から、7世紀中頃には存在していたことは間違いない。

法起寺・・・聖徳太子が法華経を講じた岡本宮を、太子の子・山背大兄王が寺に改築したとされる。


斑鳩宮は聖徳太子の薨去後、太子の子・山背大兄王一族が住んでいましたが、643年に蘇我入鹿の兵によって宮は焼き払われました。







斑鳩宮(いかるがのみや)
奈良県生駒郡斑鳩町
法隆寺東院の地下に眠る、現在は斑鳩宮跡に夢殿が創建されています。  


Posted by 夢子 at 11:11Comments(0)601年