2015年07月03日
672年 大友皇子自殺
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672年 大友皇子自殺
671年、天智天皇が亡くなる ⇒ 671年 天智天皇崩御
672年、壬申の乱が起きる ⇒ 672年 壬申の乱(じんしんのらん)
天智天皇の子・大友皇子と天智天皇の弟・大海人皇子のあいだに皇位をめぐる争いが起こり、畿内はともより美濃・伊賀・伊勢・尾張の地方官や豪族を巻き込む大きな内乱となった。
天智天皇の政治に不満をもっていた豪族たちは大海人皇子に味方。これにより大海人皇子側の勝利に終わる。
敗北した大友皇子は首を吊って自殺。
弘文天皇(こうぶんてんのう)
明治3年(1870年)、諡号を贈られ天皇として認められたが即位したかどうか定かではない。
672年 大友皇子自殺
671年、天智天皇が亡くなる ⇒ 671年 天智天皇崩御
672年、壬申の乱が起きる ⇒ 672年 壬申の乱(じんしんのらん)
天智天皇の子・大友皇子と天智天皇の弟・大海人皇子のあいだに皇位をめぐる争いが起こり、畿内はともより美濃・伊賀・伊勢・尾張の地方官や豪族を巻き込む大きな内乱となった。
天智天皇の政治に不満をもっていた豪族たちは大海人皇子に味方。これにより大海人皇子側の勝利に終わる。
敗北した大友皇子は首を吊って自殺。
弘文天皇(こうぶんてんのう)
明治3年(1870年)、諡号を贈られ天皇として認められたが即位したかどうか定かではない。
2015年07月02日
672年 壬申の乱(じんしんのらん)
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672年 壬申の乱(じんしんのらん)
天智天皇が亡くなった後、皇位継承問題の発端として壬申の乱が起こる。
天智天皇の弟・大海人皇子が勝利して即位。天武天皇となる。
天智天皇の弟・大海人皇子は天智天皇を補佐し有力な後継者とみられながらも、天智天皇の没後には、天智天皇の子・大友皇子が政権を継ぐ形となった。大海人皇子は彼を推す人々に盛りたてられ、壬申の乱に勝利して政権を奪取。
672年 壬申の乱(じんしんのらん)
天智天皇が亡くなった後、皇位継承問題の発端として壬申の乱が起こる。
天智天皇の弟・大海人皇子が勝利して即位。天武天皇となる。
天智天皇の弟・大海人皇子は天智天皇を補佐し有力な後継者とみられながらも、天智天皇の没後には、天智天皇の子・大友皇子が政権を継ぐ形となった。大海人皇子は彼を推す人々に盛りたてられ、壬申の乱に勝利して政権を奪取。
2015年07月01日
671年 漏刻台(水時計)が完成
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671年 漏刻台(水時計)が完成
天智天皇が、漏刻台(ろうこくだい) = 水時計を作る。
671年4月25日は太陽暦(グレゴリオ暦)で671年6月10日になるので、6月10日を『時の記念日』としました。
671年 漏刻台(水時計)が完成
天智天皇が、漏刻台(ろうこくだい) = 水時計を作る。
671年4月25日は太陽暦(グレゴリオ暦)で671年6月10日になるので、6月10日を『時の記念日』としました。
2015年04月21日
2015年04月20日
2015年04月17日
670年 法隆寺全焼
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670年 法隆寺(ほうりゅうじ)全焼
日本書紀巻27に『夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺 一屋無餘(天智天皇9年(670年)に法隆寺は一屋余すところなく焼失した)』と記載されている。
670年 法隆寺(ほうりゅうじ)全焼
日本書紀巻27に『夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺 一屋無餘(天智天皇9年(670年)に法隆寺は一屋余すところなく焼失した)』と記載されている。
2015年04月16日
670年 全国に戸籍をつくる(庚午年籍)
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670年 全国に戸籍をつくる(庚午年籍)
庚午年籍(こうごのねんじゃく)
庚午(かのえうま)の年につくられた戸籍で、全国的規模のものとしては最古の戸籍。
古代において、一般の戸籍は6年ごとに作成され、30年を経ると廃棄される規定であったが、庚午年籍は永久保存扱いにされさた。現存しない。
この年が『近江令』施行の年でもあったから、これにならってつくられたものと思われる。
670年 全国に戸籍をつくる(庚午年籍)
庚午年籍(こうごのねんじゃく)
庚午(かのえうま)の年につくられた戸籍で、全国的規模のものとしては最古の戸籍。
古代において、一般の戸籍は6年ごとに作成され、30年を経ると廃棄される規定であったが、庚午年籍は永久保存扱いにされさた。現存しない。
この年が『近江令』施行の年でもあったから、これにならってつくられたものと思われる。
2015年04月15日
669年 藤原鎌足死去
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669年 藤原鎌足死去
中臣鎌足(なかとみのかまたり)のち藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
飛鳥時代の政治家。
中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し、大化改新政府の内臣(うちつおみ)となって律令体制の基礎をつくった。
藤原氏の祖。
死の直前に天智天皇から大織冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、『藤原』の姓を賜る。その翌日に逝去した。
大織冠(たいしょっかん)
大化の改新後定められた冠位制で最高の冠位。藤原鎌足ただ一人が授けられた。
669年 藤原鎌足死去
中臣鎌足(なかとみのかまたり)のち藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
飛鳥時代の政治家。
中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し、大化改新政府の内臣(うちつおみ)となって律令体制の基礎をつくった。
藤原氏の祖。
死の直前に天智天皇から大織冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、『藤原』の姓を賜る。その翌日に逝去した。
大織冠(たいしょっかん)
大化の改新後定められた冠位制で最高の冠位。藤原鎌足ただ一人が授けられた。
2015年04月14日
668年 近江令を制定
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668年 近江令を制定
近江令(おうみりょう)
天智天皇の定めた日本古代最初の法典とされる。
『藤氏家伝』大織冠伝に天皇の命によって中臣鎌足らが668年に編纂と記載。
『弘仁格式』の序文に令22巻を制定したとあるが、日本書紀には記載されず内容不明。確かな史料がなく、その存在を否定する説もある。
668年 近江令を制定
近江令(おうみりょう)
天智天皇の定めた日本古代最初の法典とされる。
『藤氏家伝』大織冠伝に天皇の命によって中臣鎌足らが668年に編纂と記載。
『弘仁格式』の序文に令22巻を制定したとあるが、日本書紀には記載されず内容不明。確かな史料がなく、その存在を否定する説もある。