
2015年01月05日
57年 倭の奴国、後漢に使いを送り金印を与えられる
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57年 倭の奴国、後漢に使いを送り金印を与えられる
中国の歴史書『漢書(かんじょ)』によると、
弥生時代中期(紀元前100年から紀元前後)、日本は大陸から『倭国(わこく)』と呼ばれ、100あまりの国(クニ)に分かれていました。
『後漢書(ごかんじょ)』東夷伝(とういでん)には、
紀元57年、倭の奴国(なこく)が後漢の光武帝(こうぶてい)のもとに使いをおくり、金印(漢委奴國王印)を授けられたことが記載されています。
倭(わ)・・・日本
奴国(なこく)・・・北九州にあった国
金印・・・1784年、博多湾口の志賀島で発見。『漢委奴國王印(かんのわのなのこくおういん)』と刻まれた金印
漢委奴國王・・・漢の支配下の委国(倭国)の中にある奴国の王(解釈は多数あり)
金印論の整理(「漢委奴國王」金印論争の不可思議

57年 倭の奴国、後漢に使いを送り金印を与えられる
中国の歴史書『漢書(かんじょ)』によると、
弥生時代中期(紀元前100年から紀元前後)、日本は大陸から『倭国(わこく)』と呼ばれ、100あまりの国(クニ)に分かれていました。
『後漢書(ごかんじょ)』東夷伝(とういでん)には、
紀元57年、倭の奴国(なこく)が後漢の光武帝(こうぶてい)のもとに使いをおくり、金印(漢委奴國王印)を授けられたことが記載されています。
倭(わ)・・・日本
奴国(なこく)・・・北九州にあった国
金印・・・1784年、博多湾口の志賀島で発見。『漢委奴國王印(かんのわのなのこくおういん)』と刻まれた金印
漢委奴國王・・・漢の支配下の委国(倭国)の中にある奴国の王(解釈は多数あり)
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