
2015年01月15日
593年 厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇の摂政となる
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593年 厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇の摂政となる
推古天皇(すいこてんのう)
第33代天皇、日本初の女帝
生誕 欽明天皇15年(554年)
崩御 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)
在位 崇峻天皇5年12月8日(593年1月15日)~推古天皇36年3月7日(628年4月15日)
崇峻天皇が蘇我馬子に殺害されたあと、敏達天皇の皇后・額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)が即位した(推古天皇)。
第30代天皇・敏達天皇(びだつてんのう)・・・父・欽明天皇、母・皇后石姫皇女
第31代天皇・用明天皇(ようめいてんのう)・・・父・欽明天皇、母・蘇我堅塩媛
第32代天皇・崇峻天皇(すしゅんてんのう)・・・父・欽明天皇、母・蘇我小姉君
第33代天皇・推古天皇(すいこてんのう)・・・父・欽明天皇、母・蘇我堅塩媛
18歳で敏達天皇の皇后となり、34歳のときに敏達天皇が崩御。39歳のときに崇峻天皇が殺害されると皇位を継いだ日本初の女帝。
推古天皇は即位すると、すぐに厩戸皇子(うまやどのみこ、聖徳太子)を皇太子に立てて、政治のすべてを任せました(摂政)。
摂政(せっしょう)とは、天皇が女性だったり、子どもだったりしたときに天皇を助ける役目です。
当時の政治の実態は、天皇のもとに聖徳太子と蘇我馬子が協力し合ってことを進めたと思われます。
厩戸皇子(うまやどのみこ)、聖徳太子
飛鳥時代の皇族、政治家
誕生 574年2月7日(敏達天皇3年1月1日)
死没 622年4月8日(推古天皇30年2月22日)
推古天皇のもと、蘇我馬子と協力しながら政治改革を推進。遣隋使を派遣、冠位十二階や十七条憲法、仏教の信仰など。
聖徳太子にはさまざまな伝説があり、『日本書紀』には10人の話しを同時に聞き分けたという話しや、母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が馬小屋にいるときに生まれたので厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれたなどの逸話があります。

593年 厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇の摂政となる
推古天皇(すいこてんのう)
第33代天皇、日本初の女帝
生誕 欽明天皇15年(554年)
崩御 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)
在位 崇峻天皇5年12月8日(593年1月15日)~推古天皇36年3月7日(628年4月15日)
崇峻天皇が蘇我馬子に殺害されたあと、敏達天皇の皇后・額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)が即位した(推古天皇)。
第30代天皇・敏達天皇(びだつてんのう)・・・父・欽明天皇、母・皇后石姫皇女
第31代天皇・用明天皇(ようめいてんのう)・・・父・欽明天皇、母・蘇我堅塩媛
第32代天皇・崇峻天皇(すしゅんてんのう)・・・父・欽明天皇、母・蘇我小姉君
第33代天皇・推古天皇(すいこてんのう)・・・父・欽明天皇、母・蘇我堅塩媛
18歳で敏達天皇の皇后となり、34歳のときに敏達天皇が崩御。39歳のときに崇峻天皇が殺害されると皇位を継いだ日本初の女帝。
推古天皇は即位すると、すぐに厩戸皇子(うまやどのみこ、聖徳太子)を皇太子に立てて、政治のすべてを任せました(摂政)。
摂政(せっしょう)とは、天皇が女性だったり、子どもだったりしたときに天皇を助ける役目です。
当時の政治の実態は、天皇のもとに聖徳太子と蘇我馬子が協力し合ってことを進めたと思われます。
厩戸皇子(うまやどのみこ)、聖徳太子
飛鳥時代の皇族、政治家
誕生 574年2月7日(敏達天皇3年1月1日)
死没 622年4月8日(推古天皇30年2月22日)
推古天皇のもと、蘇我馬子と協力しながら政治改革を推進。遣隋使を派遣、冠位十二階や十七条憲法、仏教の信仰など。
聖徳太子にはさまざまな伝説があり、『日本書紀』には10人の話しを同時に聞き分けたという話しや、母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が馬小屋にいるときに生まれたので厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれたなどの逸話があります。
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